デイジー川嶋の新世紀シネマエッセイ
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vol.033  2003.10.20更新

 俺が昔コピーライターもどきだった頃、西武百貨店の宣伝コピー(文案)が一世を風靡していた。「おいしい生活。」など、商品を売るのではなく、ライフスタイル提案型だった。
コピーにおける「。(まる)」にはコピーライターのこだわりがある。現在で言えば「モーニング娘。」だが、俺の記憶では20数年前の糸井重里あたりからだと思う。
1本のコピー代金が数百万円と言われた時代。俺のコピーは1本10万円まで行ったが、現在では10円コピーだ(とほほ)。
わずか一行のコピーになぜそれほどまでにお金を払うのか。
バブル景気で宣伝業界がホットだった時期ではあるが、一行のために何百という案を考える。その中から絞りに絞って数案を提出し、プレゼンテーションを経て決定される。その労力たるや、わずか「一行の世界」と軽く言えるものではない。
そして決定された一行のコピーは系列企業全体のイメージを作り、全てのセールスがそのコンセプトに沿って動く。消費者の動向を左右し、流行を作り出す。そこから派生する金額の大きさは想像を絶する。
そこまでの金額と労力を使わないと消費行動を左右するような大きな仕掛けはできない。

 近年のハリウッド映画の日本公開時における邦題がつまらない。直訳が多いからだ。
アメリカ人の感覚と日本人の感覚は当然違うが、おかしな邦題をつけてヒットしなかった時のことを恐れているのか、そのままなのだ。
短い名詞調のタイトルなら仕方ないが、英文をそのままカタカナ読みするタイトルは何とかしてほしかった。その方が本来の製作者の意図が伝わるからと宣伝担当者は言うかもしれないが。
例えば今年の話題作の中でも「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」「メイド・イン・マンハッタン」「トゥー・ウィークス・ノーティス」「チャーリーズ・エンジェル/フルスロットル」「マトリックス/リローデッド」「ライフ・オブ・デビッド・ゲイル」などだ。
それぞれが面白かったのだが、タイトルから受けるイマジネーションは希薄だ。それ以上でもそれ以下でもない。そんな中で昔っぽい感じがしたのが「閉ざされた森」「サハラに舞う羽根」だ。
シンプル過ぎて意表をついたのが日本映画で「座頭市」。これは逆の意味で「そのまま」なのだが、宣伝コピーも「最強。」のみ。これで十二分に「伝わる」のは作品に力があるからなのか。続篇ができたら「座頭二」ってが。
「偶然にも最悪な少年」のタイトルにも惹かれるものがあった。
「踊る大捜査線 THE MOVIE2/レインボーブリッジを封鎖せよ!」は長すぎる。
「ウルトラマンコスモスVSウルトラマンジャスティス」う〜んっ。
もうこうなると、俺には判断がつかんっ。