デイジー川嶋の新世紀シネマエッセイ
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vol.034  2003.10.31更新

 映画三昧の秋である。
車で10分以内という距離に「シネマヴィレッジ8・イオン柏」ができてから、俺の日常は変った。
平日の夜に1本観て、日曜日に3本のハシゴなんてザラだ。いくら映画が好きでも、それを仕事としているワケでは現在ないから、これまでは休日しか出かけられなかった。
年間100本以上観ていた夢のような黄金期は去り、各種イベントで貴重な日曜日が費やされると、映画どころでない日々が続き、近年は70本前後。仕事と家庭の狭間で貴重な休日はつぶれて行く。天気が良ければ庭で盆栽いじりも楽しいし(冗談だってばぁ)、やはり近くに映画館がないと映画は遠のく。
それでも一般の映画ファンにすれば多い方なのだろうが、映画ファンを任じる人たちは俺の倍は軽く観ているだろう。

 しかし、俺は映画オタクじゃない。一時期そうだった時期もあったが、今は違う。映画の中の世界と現実の世界をちゃんと区別できるからだ。
見境いなく映画を語るなんてことを今はしない。それは俺の映画観による。結局は「個人の自由・勝手・価値観」だと思っているから。
本人が楽しんでいるのに周りがアレコレ言って批評したくないし、してほしくもない。
例えば「つまらなかった」という一言。それを思うのは勝手だが、その言葉の奥底に「この監督の作品はコレコレこうだから、ペケペケと比較してバツバツな何かをマルマルなダレダレがナニナニしてアレアレな普遍性を持って表現しているワケだから、ニヤニヤしたポレポレは絶賛するにあたらないから、つまらなかったと俺は思うのだ」という風な感じで「モノオベ」な「エフリコギ」な精神を語っている自分に酔っているのだ。
「君にはそのへんがわからないだろうがね」とその目は語っている。「面白かった」と言う俺にはもう返す気力もない。「そこまで語る君はナニサマなの?」と聞きたくなる。
そして困るのが「デイジーさんってさ、その程度なの?」と俺を見下す視線だ。俺とデイジーは同一じゃないのだ が、妙な期待感を持たれる場合があってとてもデイジーな気分になる。

 県内の映画ファンはいろんなメディアで映画の情報を知り、県内ではなぜか上映されていない現実を嘆いていた。この地域格差が各地の映画祭やイベントを産むパワーの源だったとも言える。そして、現在。映画祭は続き、各地にシネコンが誕生して、とても贅沢な環境の中に俺たちはいる。
観きれないほどのスピードでいろんな映画が上映されている。
全ての映画を観ることはできないが、環境だけは整った。後はそれをどう生かすことができるか。そこからが地域の文化の力だ。「もっと映画を観なさい」と遺言を残した偉大なる映画の父・淀川長治さん。映画の道。
この道を行けばどうなるものか。迷わず行けよ。
観れば、わかるさ。