デイジー川嶋の新世紀シネマエッセイ
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vol.035  2003.11.28更新

 この秋、話題になっている森田芳光監督の「阿修羅のごとく」を観た。
向田邦子の最高傑作の映画化だが、実はドラマを見たことがない。だから初めて知る物語なのだが、舞台設定が昭和54年冬となっていて、実はそこからジーンと来るものがあった。
実は俺は大学浪人中だった。それも2浪目。もう後がない東京の冬の寒さは今でも心に残っている。
寒いのは雪国・青森の方が本場と思いきや、東京の風の冷たさ、ビルとビルの間から吹く風の厳しさ、人と人との冷たいすきま風に俺の心は沈んでいた時期だった。
この映画は、見事にその当時を再現していて、妙な気分になってスクリーンを見つめている自分がいた。

 さて、この映画の中で「悪口」を「あっこう」と読むナレーションがあった。
「はっ」と思った。「わるぐち」ではない。津軽弁は正しかったのだ。
津軽では悪口を言うことを「あっこ(もっこ)を掘る」と言う。「あっこ」が「あっこう」であることは明らかだ。「もっこ」とは「泣けば山からモッコ来る」の「もっこ」なのだろう。由来は「蒙古」のことだ。その「悪口」が「阿修羅」の根本なのだが、「阿修羅」と言えば阿修羅原だ。
元・ラグビー全日本代表選手の原進が国際プロレスに入団したのが昭和51年。以後、全日本プロレス、SWS、WARと団体を渡り歩き「ヒットマン」の称号を得るが、その当時、世間一般が注目する超大型選手だけにリングネームが期待された。
名付け親は作家の野坂昭如氏。「ソ、ソ、ソクラテスかプラトンかぁ〜。みぃんなぁ悩んで大きくなったぁ」という名CMで知られる彼がネーミングしたのが
「阿修羅原(あしゅら・はら)」だった。
「なんじゃあ!それ」と落胆したファンは多かった。「ラガーマン原」とか「スーパーストロング原」といったムードのリングネームを期待していたからだ。
昭和50年代。まさに阿修羅な時代だった(特に深い意味はございません)。
その頃、皆さんは何をしていましたか?ちょっと思い出してみて下さい。きっとノスタルジックな気分になるでしょう。胸がキュンとなるでしょう。そのまま「阿修羅のごとく」をご覧になれば、きっと深い感動と悲しみが押し寄せることでしょう。