デイジー川嶋の新世紀シネマエッセイ
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vol.045  2004.12.3更新

 11月中旬、長崎市へ研修で出かける機会に恵まれた。九州は初めてだが、たまたま縁があっての長崎はとても意義深いものとなった。 世界で唯一の被爆国・ニッポン。広島と長崎の悲劇を忘れてはならない。常に「核の危機」を抱えたまま保たれる世界平和。イラク戦争に思う自衛隊派遣の難しい解釈。異国情緒がタップリで、初冬なのに初秋のようなのどかな天気で穏やかな旅だったが、長崎市の平和公園ではさすがに神妙な顔つきになった。

 原爆落下の中心地とその北側に世界平和を願って造られた公園の中央に立つ有名なブロンズ像。天を指す右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を示し、閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈る姿という。公園内には水を求めて彷徨った少女の手記が刻まれた「平和の泉」や世界各国から贈られた平和の像が建ち並び、世界恒久平和を願う長崎市のシンボルゾーンとなっている。毎年8月9日には平和祈念像の前で、原爆で亡くなった約7万5千人の人々の慰霊祭と平和記念式典が行われる。テレビではよく見る場所ではあるが、実際にその場に立つととても平常心ではいられなかった。

 街を歩くと、見たことのある風景と出逢った。これまでもさまざまな映画の舞台になっているが、一年前に公開された大沢たかお主演の映画「解夏」が記憶に新しい。函館とはまた違った「坂道だらけの街」だが、車で移動するよりも歩くことに市民が慣れていて、とても不思議な感じがした。

 近年、地方ロケを前面に打ち出した映画が急増している。撮影所システムの崩壊から地方ロケが増加し、観光産業にも寄与できるとして各地にFC(フィルム・コミッション)が誕生している。製作資金を浮かせたい制作者サイドと誘致したい地方サイドの両者の思惑が合致すれば「いい関係」が生まれる。今冬の話題作「海猫」も函館周辺の漁村が舞台だし「透光の樹」は金沢が舞台だ。

 原作も「そこでしかあり得ない」設定であれば、地元経済界のバックアップも期待できるだろうし、大ヒットすれば経済効果も見込まれる。こうしたロケ映画の頂点に君臨するのは名作「ローマの休日」だ。この映画の世界的な大ヒットにより、ローマは欧州の中での一大観光地となった。国民的な映画と言われる「八甲田山」は、青森県が後援をし、東奥日報社等の地元の大企業が全面的にバックアップして成功した例で、我々青森県民には誇れる名作だ。

 これまでの地方ロケと言うと「勝手に来て勝手に撮って帰る」場合もある。制作会社の系列の映画館の興業組合を頼る場合もある。最近は地元の映画祭関係者が協力する場合も増えた。地元特有の事情を熟知した人が協力して撮影しやすい環境を整備する。そこで各地にある観光協会が「窓口」としての役割を演じるのだが、担当者が話の意味をよく理解できずに「大きな話」を逃す場合がある。最近では青函トンネルがロケ地候補となった「007」シリーズが残念な例である。ロケ地としての魅力溢れる青森県には、映画事情に詳しい専門的なスタッフ、あるいは外部ブレーンのネットワークの構築が求められている。

 青森市出身の映画学校生・横浜聡子さんが初監督作品として津軽を舞台にして、12月から映画の撮影に入るというニュースが流れた。弘前FCも協力して出演者を募集していたが「津軽弁を話せる」ことが条件なんて、なかなかユニークだ。俺もありのままの津軽弁を使い、洋画のように字幕スーパーを読ませるという「津軽弁ムービー」を企画したこともあったが実現には至らなかった。「なにしゃべちゃーば?」「なもしゃべってねじゃよ」「しゃべちゃーべや?」「ながしゃべっちゃんだべな」「なもしゃべちゃーでば?」「あ゛ー」「あ゛ー」という具合いに。これじゃあ字幕が必要なワケだ。

 全国各地で方言を守ろうという動きがある。青森県も若い人と年配の人の話し言葉が違って来ている。外国を旅しても津軽弁のままの高校の先生を知っているが、結局は身ぶり手ぶりで伝わるもの。感情豊かに伝えようとすれば「言葉」は「記号」でしかない。思いは身体全体で伝わるのだ。この青森県の雄大な田舎文化を映像で残したい。今の時代にここで生きる者として。