デイジーKの新世紀シネマエッセイ
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vol.058  2007.5.7更新

 今年2月の「ゆうばり応援映画祭」で特別上映されたこの春の話題作「ロッキー・ザ・ファイナル」。口の悪い評論家筋からは「最低賞候補」とも言われたほど、60歳になったシルベスター・スタローンへの期待度は低かった。しかし、観た人からは絶賛の雨、嵐。評判は悪くないのだという。
 
 「ロッキー」シリーズというのは、オイラの中の青春の一コマとして封印してしまったもの。続編ができたと聞いて「何をいまさら」と思っていた。しかし劇場で予告編を観てから、心が動揺し始めた。サントラCDを聴いて、眠っていた闘魂が再び燃え上がってしまった。
 
 高校時代、「ロッキー」は青森や弘前の劇場で何度も何度も観に行った。オイラの35年の映画人生の中でも、ロードショー中に見た最多記録だろう。泊り込みでオールナイト(今はもうない。朝まで泊り込みで繰り返し観ていた)を何度も見ているから、寝た回数も含めると15回は大スクリーンで観ている。
 
 「1」のサントラを持っている。高校を卒業し、上京したオイラは、ウォークマン(懐かしい。出始めの奴)を聴きながら東京の街を歩いていた。シリーズ「2」〜「5」に関しては、普通のロッキーファンと同じだが、「1」だけが強烈な思い出と共に、オイラの心の奥に閉まっていた大切な映画だった。
 
 これから東京で勝負したるっ。負けてたまるかっ。絶対にこのままじゃ終わらない。いつもそう言い聞かせてサントラを聞いていた。浪人中だったから最も屈折していた時期だったのだろう。オイラを励まし続けた名曲の数々。1枚のサントラが劇中の様子とクロスするから、最後のあたりはコウフンの極地。いつでもファイティングポーズを取れる状態で歩いていた(アブネエ奴だ)。
 
 今回の「ファイナル」は「5」の続編というよりも、「1」の続編になっている。音楽も内容も「1」に戻っている。冒頭の音楽が流れた瞬間からウルウル来ていた。「1」から30年。公開時のオイラは高校生だった。スタローンは60歳になり、オイラは47歳になった。
 
 ストーリーは毎度のことながら「読める」のだが、なぜかシラケない。「くさい」のにカンドウする。あの肉体がホンモノだからだ。ロッキーファンを自認する元世界王者のマイク・タイソンが乱入するというサプライズもあった。わぁー、やべぇ。オイラ、途中から胸が苦しくなってしまった。
 
 今すぐもう一度観ることはできない。サントラも聴けない。そのくらい、胸に響いた。会いたくて、会いたくて、でも会うことができずに流れた長い歳月。突然に再会した時に感じる戸惑い。ためらい。恐怖感。でも、ロッキーとの再会にガッカリはしなかった。今でもあの頃の輝きを失っていなかった。そして、自分に重ね合わせた時、そう思われる自分でありたいし、愛した人を思いたい。オイラも原点に戻り、出直そうと思った。
 
 今すぐもう一度観ることはできなかったはずが、一週間後再び観に行ってしまった(笑)。また、ドツボにハマるのかっ。いや、二度目は素直に観られた。でも、また泣いた(笑)。「1」と同じような構成で音楽が流れるものだから、30年前のオイラにGO!なのだ(笑)。誰にでもそういう思い出にすっぽりハマる映画がある。役者は死んでも、映画の記憶は心の中に永遠と生き続ける。しかし、普通の続編やリメイクと違って、生身の年老いたロッキーとの再会が、こんなにも胸を打つとは想像もしていなかった。映画の中でアナウンサーが絶叫する。「信じられませんっ!」と。オイラも信じられなかった(笑)。