2001.4.9更新

デイジー川嶋の新世紀シネマエッセイ vol.004
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 10年はひと昔。あんなにあった髪の毛も、こんなになった(って、わからんわ)。これは誰にでも平等に与えられた「時間」だが、俺には特別な「10年」だった。6月になれば「あおもり映画祭」の季節。今年は目標としていた「第10回記念あおもり映画祭」である。アッと言う間の「もう10年?」でありながら、最初から10年を目標にしていたため「まだ10年?」という感覚もある。正直に言えば、映画祭の当初の役割は既に終えているような気がする。

 この10年間で青森県の映画館事情は大きく変わった。いわゆるシネコン(シネマ・コンプレックス)型の映画館が圧倒的に増えた。一般家庭でのビデオの普及に伴い、レンタルビデオが全盛期を迎えた10年前、街の映画館が次々と消えた。同時に各地で盛んに行われて来た「自主上映サークル」が相次いで姿を消した。そんな時に「あおもり映画祭」は始まった。どんなマニアでも評論家でも「全ての映画を観ることはできない」という視点から俺たちの映画祭は始まった。俺たちより映画が詳しい人はいっぱいいる。年代が違えば尚更だ。映画の黄金期に浴びるほど観た人たちには、銀幕は永遠の青春だ。俺なんか足元にも及ばない。評論家的に検証しようとすれば、キリがない。そもそも俺たちは何様なのだ。「映画が好き」と言うだけで何様でもない。映画を数多く観たことが凄いわけでもなく、映画を評論する奴が偉いわけでもない。「青森県」の現在の「時代」を感じる「映画」のお祭りをしたかったのだ。

 10年前は「未来」だった21世紀に突入して、俺の髪の毛も残りわずか。10年前と言えば、米アカデミー賞を独占した「羊たちの沈黙」が大ブーム。今春、続編ハンニバルが公開されている。「SMAP」がCDデビューしたのも10年前。札幌の若者たちが「YOSAKOIソーラン」を始め、全国的に大ブームを巻き起こしたのも10年前だ。「当初の役割を終えた」と思うのは、映画ファンの欲求不満が「映画館の減少・老朽化・未公開作品の増加」にあったので、シネコンの登場で「満たされる環境」には近づいて来たということ。18スクリーンとなった青森市は空前絶後。人口比率で全国トップのスクリーン数だ。しかし「売れる映画」だけだと、文化は衰退する。いろんな国の映画、様々な作家の映画、「いい映画・悪い映画・くだらない映画」も観られる環境がないといけない。映画祭は「隙間文化」だ。暗闇の隙間にも眩しい夢はある。その光とは、新しい作家の登龍門としての映画祭。デジタルがもたらした可能性とは、誰でもが映像作家になれること。そこに未来が隠されているのだ。

 
 
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