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7月に青森県内2市1町で開催された「第11回@ffあおもり映画祭」は、スタッフがTシャツ姿で走り回っているというこれまでにない「お祭り」ムードで運営された。エグゼコ(エグゼクティブ・コーディネーター)に就任した俺は、今年の映画祭に明るい未来を見た。「あと10年はやれる」と自信を深めた。その大きな原動力となったのが、今年で10年目となった木造会場。7月20日、この田舎町で、実は大変なことが起こっていた(って、驚かすなよ)。
今回、木造会場となった「木造町生涯学習交流センター・松の館ホール」は、俺にとって長く待ち望んだ地元の拠点だった。地元への夢が叶ったと同時に、東京でもない青森でもない田舎町ならではの温かさと熱気に溢れた劇場空間を作り出せ、大きな感動が残った。「縄文メロンアワード2002」として木造産のメロンのイメージを全面に打ち出し、町挙げての映画ファンとゲストを歓迎する体制は、「これこそが映画祭」と思わせるムードだった。
田子町に眠る故・相米慎二監督の追悼セレモニーでは、1分間の黙祷を捧げた後、木造の伝統的な喧嘩太鼓の演奏が始まり、この時点で観客・ゲスト共に妙な感覚に陥っていた。遺作となった「風花」の上映に始まり、相米監督の愛弟子である前田哲監督の映画「sWinG maN」「パコダテ人」の上映前には「舞台挨拶」が行われた。監督の他に、木下ほうかさん、徳井優さん、宮崎あおいちゃんが続々と壇上に上がると大きな歓声と楽しいトークに包まれた。そして、最後の中原俊監督の「でらしね」は全国初の特別上映。奥田瑛二さんと黒沢あすかさんが登場すると会場内は一段とヒートアップした。「ここは木造町なのか?」と思わせる豪華なゲストたちを迎え、よくテレビの芸能ニュースで見かける「舞台挨拶」の光景が、この田舎町で繰り広げられていた。
その根底には「故・相米慎二監督の追悼」という大きな理由があった。最後の感動ファイナルは演出したものではなく、自然発生的に生まれたもの。言ってみれば観客が作り出した効果。映画「でらしね」への感動がその後の拍手の嵐となった。一緒に会場内でゲストが映画を観ているという緊張感と臨場感。上映後の舞台上の感動が引き継がれ、奥田さん効果と宮崎さん効果がさらに相乗効果を呼び、木造のお祭り好き暖かい雰囲気で一体となった瞬間だった。東京でもない、青森でもない初めての「感動空間」だった。相米監督の追悼ということで参加して下さった多くのゲストたち。そのゲストが呼び水となって観客が集まり、結果として映画を見せ、その映画の感動が観客を育て、その観客がムードを作り、ゲストをさらに感動させる。映画祭が映画人を育て、観客が映画祭を作る。そうしたことが凝縮された一日だった。
映画祭後、ゲストからお礼のメール・お便りが続々と届いた。その言葉を集約すると「あったかい映画祭でした」となる。全ては、天国で相米監督が見守ってくれていたからだと俺は信じている。作品選定から迷いに迷っていたこの日の上映会。しかし、コンセプトを「相米監督の追悼」と決めた瞬間に、俺には確信に近い成功への手応えがあった。この企画を「あおもり映画祭」としてやるのは、実際に交流があった俺に与えられた使命であり、今年しかできないワンチャンスだった。この日の感動であと10年はやれると確信したのだ。「あおもり映画祭」は青森県全体を視野に入れての映画祭であるのだから、この波及効果は必ずあると信じている。やり遂げた充実感と観客の熱い声援と期待感が次につながり、将来へと導いてくれる。青森空港から津軽平野の中を車で約1時間走り、岩木山を眺めながら「どこで映画祭やっているんですか?」とゲストも遠来の映画ファンも戸惑った木造会場。終わってみれば、「不思議な感覚に陥った」「メロンがおいしかった」「太鼓演奏が良かった」「木造町民が温かった」「駅のシャコちゃんが怖かった」などいろんな感想が寄せられた。全国から映画祭関係者も多数来町。映画「でらしね」に感動し、「あおもり映画祭」のムードに感動したと。「都市部の映画祭ではあんな雰囲気は絶対に無理」という反応に俺は大きな自信を深めた。そして、田舎町ならではムードを違う土地にも浸透させたい。「映画王国」建設に向けて、映画村を作りたい。そんな夢のまた夢が、自分のライフワークとして見えた瞬間でもあった。
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