バックナンバー 2002.8.26更新

デイジー川嶋の新世紀シネマエッセイ vol.017
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 今夏、青森市のシネマディクトで窪塚洋介主演の映画「ピンポン」を観た。
間違いなく、今年度のベスト10に入る傑作だろう。お客もかなり入っていて手応えを感じていたら、拡大公開が決まった。 松本大洋ファンの映画祭スタッフから教えてもらって原作を読んだのが2年前。その大洋ファンが「ガッカリするどころか、音楽もキャスティングもしっくり来た」というほど面白くできている。松田龍平主演の「青い春」も既に話題になっており、謎の漫画家・松本大洋に映画界が熱いエールを送っている。 「観てから読むか、読んでから観るか」というのは、昔の角川映画のキャッチフレーズ。「映画」と「書籍」をドッキングさせ、多メディアに売り込んだ「メディアミックス」戦略の先駆けだった。読者がガッカリしようが何しようが、面白い漫画・小説は映画になり、テレビドラマになり、音楽を売り、ビデオになり、DVDになる。最近はゲームソフトにもなる。「ソフトの二次使用・三次使用」である。
 今年のねぶ(ぷ)た祭りから、アニメキャラクターの無断制作・使用が禁止された。確かに近年、キャラクターを使った前(子供)ねぶたが異常に多くなった。「そのくらい、いいじゃん」とは思いながら、本来の「著作権」というのはそういうこと。 「子供たちが喜ぶから」と安易に作るが、ねぶたはやはりオリジナルな題材を探して作ってほしいものだ。冬の間にねぶた師は構想を練る。映画を数多く観てイメージを膨らませるという話もよく聞く。今年の大賞は「陰陽師」だった。となると、来年は「猫の恩返し」か「ピンポン」か。そうなると「もののけ姫」でも「スターウォーズ」でもいいとなる。空想の世界では楽しいが、「ねぶた祭り」の本来の意味が忘れ去られているようで寂しい。「奉る」ものが「何でもいい」のだろうか。カラスハネトが発生する以前のねぶた祭り本来の問題だと思うのだが。ねぶた・山車の題材は時代を反映するし、流行・時流に左右されるとは思うが、目先の人気取りのためだけにならないでほしいとは思う。その一方で三国志や戦国絵巻・歌舞伎の題材から取り入れるというのにも飽きて来た。ねぶたは単なる山車なのか、芸術作品なのか。ねぶたがあるから祭りがあるのか。祭りがあるからねぶたが必要なのか。この矛盾はどうやって解決したらいいのか。観てから読むか、読んでから観るか。飲んだら乗るな、乗るなら飲むな。ニワトリが先か、タマゴが先か。映画を観てから原作のファンになる場合だってあるだろう。音楽から映画を知る場合もある。
ねぶた祭りで彼女を見つける奴だっているだろう。映画祭でメロンを食べてもいいだろう。「陰陽師」ねぶたがあるんなら、「パコダテ人」ねぶたや「殺し屋1」ねぶたがあったっていい(どーしてそうなる)。今年は八甲田山遭難百年の年。あの事故を風化させないためにも、八甲田山ねぶたも出陣するべきだった。大賞を取れなくても「天は我々を見放したぁ」って。映画「ピンポン」で「お前には卓球王国・青森の血が流れているんだぞ」というセリフがあった。やはり、来年のねぶた大賞は「ピンポン」で決まりだ。
 
 
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