バックナンバー 2003.3.27更新

デイジー川嶋の新世紀シネマエッセイ vol.025
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 世界がこんな状態でも俺は生きている。現実の戦争が始まっているのに、テレビで報じられる画面からは緊迫感が伝わって来ない。ウォー・ゲームのようだ。「戦争を知らない子供たち」である俺でさえこのあり様だ。イマドキの子は「テレビゲームで育った子供たち」だ。誰かが言っていたけれど、この戦争の正体を知らずにゲーム感覚で慣れてしまうと、歪んだ青少年が育つと。映画「チャップリンの独裁者」の中に「一人の人間を殺すと殺人者だが、大勢の人間を殺すと英雄になる」というセリフがあった。ヒトラーを皮肉ったものだが、小泉首相もこんな愚痴をこぼしていた。「皆の意見を聞くと指導力がないと言われ、指導力を発揮すれば独裁者だと言われる」と。髪々の使者ハゲー・ポッター様もこんな名言を残している。「髪が薄くなったと悲観する人よりも、髪がこんなに残っていると楽観した人の方がハゲである」と。人間は二つのタイプに分かれる。おせっかいを焼くのが好きな奴と知らん顔の奴。闘う者と傍観する者。「タマちゃんを想う会」「タマちゃんを見守る会」などでわかる。
 SMAPの「世界にひとつだけの花」という曲が大ヒットしている。「♪ナンバーワンにならなくてもいい。もともと特別なオンリーワン」これが反戦歌としても注目を集めているワケだが、ナンバーワンを目指すアメリカとイラクの戦争。しかし、それぞれの国が主権国家であり、独立している。国連はそのためにある。なのに、アメリカは突っ走った。そう言えば、007最新作「ダイ・アナザー・デイ」でも北朝鮮人が「どうしてイギリス人とアメリカ人は世界警察を気取るのだ」と。これは納得できる。前作がもっと面白かっただけに物足りなかった。ボンドが軽薄な男に思えて憂鬱な気分になった。笑えなかった。楽しめなかった。戦争が過去のことだから映画も楽しめる。しかし、現実に日本も「加担」した戦後初めての戦争の最中に「娯楽」としての「戦争」には耐えられない。
 「市民ケーン」という古い映画もDVDで観た。たった一言のセリフで強い関心を持った。ケーンというメディア王が死んで、彼の人生を映画にしようとして調べ始める。という設定で、映画を撮る過程を映画で表現している言わば劇中劇で、その中で謎多き「ケーン」の人物像を探るのだ。冒頭、スタッフがいろんなネタを持って来るのだが、語り手がこう言う。「ケーンが何をした人なのかは調べればわかる話だ。ケーンがどんな人間であったのかが知りたいんだ」と。それでケーン自身を調べるのではなく、ケーンと交流があった人物の取材に出かけるのだ。「はっ」と思った。尊敬するテレビディレクターがよく言っていた。「情報を伝えるのなら誰にでもできる。それが新しい情報であっても、ただの情報だ。俺たちは、それをどう伝えるのかを考えなきゃダメなんだ」と。「どう伝える」これを考えないクリエイターはいない。基本中の基本だけど、改めて感じた。就職難で数少ない募集枠を求めて必死にさ迷う若者たち。「自分」をどう表現するか。どう理解してもらうか。その努力もしないで「不況だから」「どうせ〜だから」と逃げてはいないだろうか。言葉には魂が宿る。神々が棲む。ナンバーワンになれなくてもいい、自分だけのオンリーワンを探そうよ。俺はネコ派なので、オンリーニャンだけど。
 
 
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