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昨年「アルジャーノンに花束を」というフジテレビのドラマが人気を博した。原作はダニエル・キイスのベストセラー小説。20年前に友人に薦められて読み、感銘を受けて、映画の企画の仕事をしていたので映画化を提案したことがあった。1968年に「まごころを君に」というタイトル(原題は主人公の名前から「CHARY」)で映画化されているので、企画としてはあっさり却下されたが、21世紀になっても通用するテーマなので今さらながら凄い原作だと思うし、俺の発想も間違っていなかったと自負している。知的障害を持つ青年チャーリィは最先端の脳外科手術によって、一般人を遥かに上回る知能を身につけた。彼の人生は大きく変わったが、人間の本質を知ったチャーリィはその矛盾や孤独に苦悩する。ある日彼は自分と同じ手術を施された白ネズミ・アルジャーノンの死を目の当たりにしてしまう、という物語だ。俺も最近似たような感覚に陥った。最新式の補聴器を左耳に入れてから、いろんな人の会話を盗み聞いているほどよく聞こえる。最初は感激したが、慣れると「うるさい雑音」と同じだ。聞こえ過ぎて、俺の生活は変わった。それまで曖昧にしていたことが全部理解できる。近くの人のヒソヒソ話までが聞こえて来ると、自分のことでなくても憂鬱な気分になる。そう言えば、俺は「チャーリィ」と呼ばれていた。 天才アーチスト・横尾忠則は「天才」とタイトルのつく本をすべて購入したそうだ。「天才と○○は紙一重」と言うが、自分がそういう類の人種なのか調べたかったことと、「天才」の定義が著者により異なることからつまらない本でも買ったとか。俺は天才でも○○でもなくただのハゲだが、買ったまま読まずに山積みになっている本がたくさんある。何かの拍子でその本のタイトルに目が行き、手に取る瞬間がある。本の方が俺を呼んでいたのか、無意識の中で「欲した感性」があって購入行動に出ているので、何か共通するキーワードがある。わざわざ買ったものには自分の感性が求めていることへの接点がある。俺は人の家の本棚を見るのが好きだ。本の背中のタイトルを眺めるだけでその人の思考がわかるから。「本屋・書店には週に一回は必ず顔を出そう」と俺が講演で話すのは、そういう訓練が普段からできるから。コンビニもわかるけれど、もっと幅広く流行や時代の流れを実感できるのは「本屋・書店」なのだ。若者の活字離れが叫ばれて久しい。ネットで何でも入手できると思っている人が多い。確かにネットは早いし、膨大な情報が入手できる。しかし、大海の中で溺れている白ネズミのようで、新聞と書籍などの活字媒体は、自分から「読む・探す」という行為を伴うことで、情報・知識の頭への入り方が違うので、自分をもっともっと上昇させたいのなら必要なことだと俺は思う。
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