title みんな ここから 始まった。
ミラマックス・フィルムズ/提供
ウォルター・シェンソン/製作
アラン・オーエン/脚本
リチャード・レスター/監督

ザ・ビートルズ
ウィルフリッド・ブランビル


ビートルズがやってくる!!
 映画用オリジナルナンバーを含む全11曲がデジタル・サウンドで鳴り響く!!


みんなここから始まった。
  音楽、ファッション、スタイル…。すべての「原点」がこの映画に、在る。


ビートルズという名の革命 TEXT:川勝正幸(エディター)

ビートルズ 世界はビートルズ・フォロワーでいっぱい
 生まれる前にビートルズが解散してしまっていた世代にとっては、なぜ今の“大人”がビートルズを神のように崇めているのか、いまいちピンと来ないのではないか。
 それは当たり前のことだと思う。ビートルズを“大人”が(特にあの長髪、っていうかあの程度の長髪を)毛嫌いしていた60年代に“子供”だった僕からすれば。ビートルズ以降の音楽、いや、ポップカルチャー全般は、ビートルズという名の革命によって手にした自由を著作権フリーで満喫した。結果、当時ビートルズがやってのけた初めてだらけの行為や態度が、今や当たり前となってしまったからだ。
 これはローリング・ストーンズも(ジョンがミックとキースにオリジナルを作ることを勧めた)、はっぴいえんども(二人が出逢った日、細野晴臣は渋谷のYAMAHAで松本隆に『デイ・トリッパー』のベース・ラインを聴かせた)、永ちゃんも(自伝第2弾『アー・ユー・ハッピー?』をチェックよろしく)、奥田民生も(ビートルズを引用した名曲、多し)、森高千里も(リンゴと同じラディックのドラムを愛用)、つんくも(最近、ビートルズの完コピ・アルバムを出したっけ)、ある時期ビートルズ・フォロワーであった事実が証明している。

ユーモアの感覚繋がりによるコラボ
 ビートルズの初めて尽くしを楽しむには、彼らの初主演映画(『ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!』改め)『ハード・デイズ・ナイト』(64)が最適である。
 ストーリーは1行で済む。人気者のビートルズが地元ロンドンの映画館スカラ座で公開TV番組を収録するまでのお話だからして。二人のマネージャーに拘束され、コンサート会場とホテルの移動の日々。時々ディスコへ抜け出す程度、というスターはつらいよ状態。本来なら劇的にならない非日常的日常のはずだが、そこにポールのお爺さん(婚約不履行歴があるほう)が同行したことから、トラブル続出。リンゴはそそのかされ、自分を見つめるための小さな旅へ出かけてしまう。本番20分前になっても戻ってこないので、大騒ぎ。果たして無事ライブは始まるのか………というハラハラドキドキの展開。
 そう。まず、この擬似ドキュメンタリーというスタイルが画期的であった。脚本家はビートルズを密着取材後、彼らのふだんの暮らしぶりをデフォルメしたという。元々笑いのセンスがある4人(記者会見での発言を参照)は素だか演技だかわからない微妙なノリでスクリーンに登場。物語の構造がシンプルなおかげで、4人のキャラが立ちまくった。クレイジーだが優しいジョン、可愛いけどそつがないポール、無口なのにシニカルなジョージ、ドジでも憎めないリンゴ。女子はそこに“等身大の姿”を見て、ますますファンになった。男子はとにかく髪を伸ばし、バンドを結成した。大人も「なかなか面白い奴らじゃないか」と認め始めた。
 これは、アメリカの映画会社が金儲けのために企画したものをビートルズが自分らの作品にした結果である。ションたちが尊敬するエルヴィスのお仕着せのアイドル映画みたくならないようにツッパったからだ。製作のウォルター・シェイソンが、監督にリチャード・レスターを勧めた“必然性のある偶然”も功を奏した。レスターは、ビートルズのお気に入りだったピーター・セラーズ出演のコメディTV番組のディレクターだったのだ。振り返れば、ビートルズの名プロデューサー、ジョージ・マーティンはセラーズの笑いのレコードを担当していた。音と映像共に、ビートルズはユーモアの感覚繋がりでコラボレーションする相手を選んでいったのである。

MTVの原点となった映像センス
 バラードは、TV局のモニターのスイッチングを上手く使って4人の演奏時の表情を魅せる。アップテンポの曲には、ビートルズのシュールかつスラップスティックな動きをハメる。レスターのヌーヴェルヴァーグ発TV経由の映像センスは、『ハード・デイズ・ナイト』のキモである演奏シーンで爆発。彼のスキルはMTVの原点となった。
 エキストラではない本物のビートルズマニアが4人をおっかけるシーン(オースティン・パワーズの“1”でゆるくパクっていたところ)や、コンサートでファンが本当に失神寸前で泣き叫んでいるところなど、美味しい現場でカメラを回してそのまま映画にいただく軽やかさ。後のレスター監督作品『ナック』(65)で開花するグラフィックな処理―いずれも真似されまくった。僕らは『ハード・デイズ・ナイト』によって新しい知覚の扉をぐいっと開けられ、今まで見たことがない音楽や見たことがない映像を追い求める快感を学んだのだ。
 ビートルズもその後、『ヘルプ!四人はアイドル』(65)、『マジカル・ミステリー・ツアー』(67)、『イエロー・サプマリン』(68)、『レット・イット・ビー』(70)と4本の映像作品を残した。リンゴは『キャンディ』(68)をはじめカルト俳優として一時売れっ子になった。ジョンはレスターのデタラメゆえに真の反戦映画『僕の戦争』(67)に出演。ポールは89−90年のワールドツアーのドキュメンタリー『ゲット・バック』の監督をレスターに依頼した。ジョージは映画会社を作り、テリー・ギリアムの『バンデッドQ』(81)ほかを製作した。


 みんなここから始まった、のである。