|
日本を変えるため、命を賭けて海を渡った彼らを人は 「長州ファイブ」と呼んだ。 |
<キャスト>
松田 龍平
山下 徹大
北村 有起哉
三浦 アキフミ
前田 倫良
|
|
公式ホームページ
|
<監督>
五十嵐 匠
|
【イントロダクション】
ペリー率いる黒船の浦賀来航から10年後。外国を打ち払おうとする攘夷の嵐が吹き荒れる幕末期の1863年、遥かなる異国、イギリスに命がけで密航した若者達がいた。粗末な服に身を包み、新しい時代を切り開く気概だけを胸にロンドンの地に立ったこの長州藩の5人の志士達を、のちにイギリス人は敬意を込めて「長州ファイブ」と呼んだ…。
5人の名は、若き日の伊藤博文、そして井上馨、井上勝、遠藤謹助、山尾庸三。いずれも後年、日本の歴史に偉大な足跡を残すことになる5人である。
見つかれば死罪という密航までして、イギリスに渡った彼らの情熱の源は何なのか? 生死を賭けた数カ月もの航海、人知れず異国で倒れて果てるかもしれぬ危険も顧みず、突き進んだ彼らの熱き思いはどこからくるのか?
幕末の歴史に秘められた5人の若き日々の真実が、140年あまりの時を経て、今、ここに明かされる。
「ワシらが日本を変えてやるんじゃ」
尊王攘夷の気運が勢いを増していた1862年12月。
品川の芸妓楼「土蔵相模」には、飲み、談じ合う長州の志士、山尾庸三(松田龍平)、志道聞多(北村有起哉)、伊藤俊輔(三浦アキフミ)らの顔があった。高杉晋作(寺島進)は、「幕府がいかに無力無能であるか天下に示すため」品川御殿山に建設中であるイギリス公使館の焼き打ちを宣言する。山尾らの手によって、公使館は炎につつまれた。
「こねーなことで幕府を困らして何になるんか」俊輔は、そっと山尾に疑問を投げかける。聞多も、炎を見ながら「むなしーのー」と呟いた。
雪深い信州松代の佐久間象山宅。象山(泉谷しげる)の唱える進歩的開国論について尋ねる聞多と俊輔がいた。象山は「敵を知り、己を知れば百戦、危うからず」と孫子の兵法の言葉を引いて、「敵」である西欧に人材を派遣し、陸海軍事技術を習得させることの必要性を説く。聞多は心動かされ、海外へと目を開かされるのだった。
聞多の意志は、藩主、毛利敬親(榎木孝明)に届く。だが、諸藩士の海外渡航は幕府によって禁じられており、密航者は見つかれば死罪である。藩としては表向き許可することは不可能、だが「異国の学問や技術を会得し『生きたる機械』となって帰って来い」と、藩はイギリスへの密航を黙認する。胸の高鳴りを押さえきれぬ聞多だった。
聞多は、山尾にイギリス行きを打ち明け、同行を頼み込む。山尾には、かつて函館で航海術を学びロシア領沿海州へ航海した経験があった。山尾は、死罪も覚悟の上という聞多の本気の情熱に打たれ、函館で一緒だった野村弥吉(山下徹大)と共に密航の覚悟を固める。弥吉は、「異国の酒が飲みたい」と軽口をたたくが、密航が死と隣り合わせの行為であることは、はなから承知の上だった。
渡航の準備中、3人は、長州藩から渡された手元金では到底足りないことを知る。愕然とした聞多は俊輔に相談する。俊輔は、鉄砲を買うための藩の準備金を担保に金を借りる、というイチがバチかの妙案を授けるが、その代わりに、自分もイギリスへ連れてゆけ、と身を乗り出す。さらに、噂を聞きつけた遠藤謹助(前田倫良)も「命がけで異国を見たい」と聞多に必死に食らいついた。
聞多は、兵学者村田蔵六(原田大二郎)を訪ね、腹を切る覚悟まで見せて金策に成功した。密航前夜、日本最後の夜とばかり飲み騒ぐ聞多達に、静かな山尾が激しい言葉を吐いた。「我々は真の攘夷のため、死を賭けて異国へ行こうとせちょる。その覚悟とせて、侍、捨てるべきじゃ」
山尾は、自ら侍の象徴である髷をばっさり切り落とす。その覚悟に胸を突かれ、次々と続く4人。堪えきれない嗚咽が、俊輔の口からもれた。
後に日本を動かすことになる5人の男達が、この時、日本の将来のために自らの若き命を捧げる覚悟で、見知らぬ異国へとそれぞれの熱い思いを馳せたのだった。死罪覚悟の密航、危険な航海、ギリギリの資金、弥吉しか片言の英語も話せず、遥かな異国の地で果てるかも知れぬという状況すら彼らを押しとどめるものにはなりえず、未知なる世界へ飛び出そうとしている若者たちだった。
1863年5月の未明、横浜港。粗末な洋装の山尾らが息をひそめて乗った小舟が沖へ漕ぎ出す。帆船チェルスウィック号に乗り込んだ5人は、甲板下の暗い倉庫に隠され、船は出発した。船上での重労働、大嵐の洗礼…。数カ月もの厳しい航海の末、彼らを乗せた船は、とうとうロンドンに到着した。テムズ川を蒸気船が行き交い、セントポール寺院がそびえ立つ。陸には、蒸気機関車が迫力ある威容を誇る。見たこともない文明の進んだ大都市の光景に我が目を疑う5人。「こんな国に勝てるわけがない。バカらしゅーなってきた」と聞多は、笑い出すのだった。
礼節を重んじ、自尊心を持ち、堂々とした彼らの姿勢は、寄宿することになったウィリアムソン夫妻に好意で迎えられた。昼はユニバーシティ・カレッジで化学実験に感嘆の声を上げ、夜は部屋で英字新聞と格闘する勉学の日々。イングランド銀行で紙幣の印刷に目を見張る謹助や、鉄道に心奪われる弥吉など、それぞれが、それぞれの興味の向かうところに従い、知識や文化を貪欲に吸収していく。だが、ある時、スラム街へ行った俊輔は、進んだ文明の陰にあるひずみや貧困をも目の当たりにするのだった。
ロンドン滞在も半年になるころ、タイムズに、「長州藩の米蘭仏艦隊への攻撃と、薩摩藩の英国艦隊への砲戦の報復のため、欧米諸国は、日本本土への上陸作戦をたてた模様」という記事を見つけ、5人に動揺が走る。皆が引き止めようとするにもかかわらず、聞多は帰国を決めた。「攘夷の藩論転換をはかる。誰かが動かんにゃー、日本は変わらん」。殺される可能性も高い無謀とも思えるこの決心に、俊輔も共鳴、2人はイギリスを後にする。「3人が『生きたる機械』となって帰国するまで、ワシと俊輔で命を張る!」と言い残して…。山尾はその思いの強さに心揺さぶられ、同時に、自身の行くべき道、イギリスでの初志貫徹を誓うのだった。
翌年、謹助が体を壊して無念の帰国をした。聞多らの思いを背負い、山尾は働きながら造船技術を学ぶため、ロンドンを離れて単身グラスゴーへと向かう。そこで彼は、手話で会話しながら働くエミリーの姿に感動を覚える。その感動は、日本の未来にも大きな影響を与えるものとなるのだった…。
イギリスで、そして幕末の混乱期の日本で。技術者として、あるいは政治の道で、藩意識を越え日本というスケールで国を考え始めた熱い男達が、今、それぞれにさらなる歴史的一歩を踏み出そうとしていた…。
(C)2006「長州ファイブ」製作委員会
|